春の葬式
名前を与えられなかった星は燃えて消え尽きるのだという。それにロマンを無理やり結びつけたのが流れ星という存在だろう。死んでいくそれに自分の思いを結びつけるなんて、なんで自殺行為なんだろう、と思いにふけたのはいつの日のことだろう。
声を失ったコマドリは。足を傷つけられたバレリーナは。人生の余暇をどのようにして過ごすのだろう。もしかすれば運命を呪って?それとも運命を受け入れて?
結局真夜中に流星の1つなんか見つけることなんかできずに朝方になって帰った。朝日に照らされたのは予想外に自宅近くだった。灯りがないと何も認識できないことを少し情けなく思った。
「学校、送っていこうか?」
「時間はありますから、大丈夫ですよ」
「……そっか」
金田さんはわたしの家に着いた後、当たり前のように2人分のコーヒーを準備した。お湯を注ぐだけの簡単なインスタントだけれども、金田さんが準備してくれたというのもあっていつもより美味しく感じられた。
「今日からしばらく、東京だよ」
「そうなんですか」
「寂しくなるねー」
「いえ、別に」
「またまたー」
金田さんもわたしもコーヒーはブラックで、一口飲んでは熱いね、と互いに笑った。
金田さんはつかみどころのない人間で、わたしの夢であって希望であって、時に残虐な行いをする。優しくなんかしないでほしいのに優しくして、いつまでもわたしの心に住み続けるのだ。
「朝ごはんどうします?」
「おれいいや」
「そうですか、」
「あ、やっぱり食べる」
「どっちですか」
昨日の行いに対して、金田さんはわたしに何もなかったかのように接してくれている。一層のこと、わたしのことなんか、置き去りにしてくれたらよかったのに。
本当はわたしが死にたかったと、
殺してくれと縋り付いた私なんて。
金田さんは何も聞かなかったかのように、何も知らないかのように、全てを知っているからこそ私の本音に無視を決め込んでくれているのかもしれない。
沈黙に耐え切れずつけたテレビは偶然天気予報を報道していて、今日の京都は随分暑くなるみたいだった。
流星の流れ屑
「あれ、ハイエースだ」
「ちょっと山に行くからね」
「は?山?」
夜23時。もう少しすれば日付が変わって今日は昨日に変換されて、同時に明日が今日になる。そんな時間に金田さんはバンド用のハイエースを私の家まで乗り付けて、今だ。場所は知らなかったし、でも朝にスニーカーの方がいいと言われていたので、動きやすい服装はしているけれど。
「今日は楽器ないから広々座れるよ」
「後ろ座ったらいいです?」
「なんで?」
好きなのに、いざとなったら逃げてしまうのは昔から何に対してもだった。なんだか私はそこの場所に値する人間でないと、人間ですらない何か化け物だと思ってしまうのだ。
「え、あ、」
「隣に座ればいいじゃない」
ジャアジャアシツレイシマシテ。そんなカタカナが似合うデタラメな言い方をしてそのまま助手席に乗り込んで黙ってシートベルトをつけた。金田さんもそれを確認してから自身のシートベルトをつけて私の知らない目的地まで運んでいく。
幸いなことに私の住み家の近くは大学があり、比較的街灯も多い。しばらくの間はぼんやり外を眺めてどこへ行くのか、と考えていた。けれども街灯が少なくなるにつれて、まるでこれは人生の縮図のようだとさえ思えてきたのだ。
「明日も学校?」
「え、あ、はい」
「なのに夜予定空けてくれたのね」
「そりゃ、金田さんですし」
ハイエースは細い細い道の中を入って、ついには街灯は見えなくなった。乗り込んでどれだけの時間が経っていただろう。
「危機感がないよね」
ハイエースはどこへ向かっているのだろう。目的のない、その場所まで。外は真っ暗でなんの明かりも無しで外に出て仕舞えば前後左右もわからなくなったことだろう。
「私、殺されるんです?」
「やだーおれ、殺人者になりたくないー」
そもそもどこに殺す理由があるのって言う前にそこはまず犯されるとか、思い浮かぶもんじゃないの?と金田さんは車を停めて、こちらをじっと見ていた。
「……」
私は何も答えられず、ただ外を見るだけだった。真っ暗。車のライトも決して仕舞えばそれこそ何も見えなくなるほど、辺りは暗い。まるでこの先の未来のような。
「本当は、昨日くる予定だったんだ」
でも、ひどく泣いて帰ってきたらからね。それどころじゃなかったよね。エンジンが止められて辺りは静まり返る。気まずくなって外に出ようとしたらロックを素早くかけられた。外そうとしてもその度に彼はロックボタンを押す
「外にでちゃダメだよ」
「どうしてです?」
「君、よからぬことを考えているから」
金田さんは何度となく続く攻防戦にしびれを切らしたのかわたしの腕を掴んで自分に目を合わささてきた。端正な顔が近づいてきたけれどそこにはわたしが夢を見るような甘い展開はない。
「昨日ここには、たくさんの星が降り注いだ」
「……」
「もしかしたら今日もいきそびれた星があるかもしれない」
「……」
「君の願いは何?」
わたしの願いは何だろう。金田さんとずっと一緒にいたい、可愛いと思われたい。優しくされたい、優しくしたい。綺麗になりたい。痩せたい。賢くなりたい。お金が欲しい。でも本音は。
「死にたかった」
祖父が死ぬよりわたしが死ねばよかった。なんの功績もないわたしなんかが生きるより、ずっと素晴らしい祖父が。この世の何もかもから解放されて羨ましかった。実りのない恋から、病気から、明るくない未来の、何もかもから解放されて、私はただただ羨ましかった。
わたしが一番、死にたかった。
できることならあなたの手で。
新しい朝が始まる
カタカタとパソコンのキーボードを打ち出してはデリートボタンを長押しするような、例えるならそのような精神状態のまま連休を終えてしまった。
いつもだった、その日常と同じように学校へ行く準備をして金田さんを起こす。ずいぶん寝起きがいい彼は私の呼びかけ1回ですぐに目を覚まして彼もまた、いつもだった日常の準備をするのだ。
「きょうの夜は暇?」
「暇じゃないといえば暇ではないですが、切羽が詰まっているわけでも」
「空けておいて」
金田さんが私を誘うことなんかめったにないことだ。いつもきっかけは私が作るし、金田さんはその大半を却下する。珍しいこともあるもんだ、と思いながら二つ返事をして準備した朝食を頬張る。といっても昨日のご飯とお弁当のあまりだけど。
「どこか行くんです?」
「行くけど、秘密」
「え~」
外は寒いだろうか、砂利道をあるくのだろうか。それとも暖かな場所へ行くのだろうか。必要なものはなんだろう。お出かけに対する不安と楽しみがふつふつとむねに宿って、場所を教えてくれない金田さんに微妙な顔を晒すと、嬉しいのか嫌なのかはっきり意思表示しなさい、と笑われた。嬉しいよ。心の底から嬉しい。
「まあ、あれだ」
歩き易い靴の方がいいかもね。この前履いていたスニーカーがいいよ。金田さんはそう言いながら朝に焼いた鮭の皮をぴりぴりと剥がして食べていた。今日は上手に焼けたらしく、眉が下がっていた。よかったよかった。
「夜、にね」
ここのところ最近疲れることばかりだった。金田さんは私の家にいるけれど彼は私の恋人でもないし、兄弟家族というものでもない。ただの私の憧れで夢、そのものだ。金田さんとの関係も見直さなきゃいけないのかもしれないけれど、今はまだ彼に甘えていたかった。
リン酸カルシウム
祖父が亡くなって、それからの葬儀や通夜で私は一切の涙をこぼすことはなかった。
それはただ単純に、嫌いだった、とか思い出がないといったそんな簡単な言葉で言い表せることではなかった。
思い出ならたくさんある、特別いじわるをされたわけでも、厳しかったわけでもない。
お経の声とすすり泣く声が聞こえる。私はぼんやりと部屋の隅を眺めているだけだ。
いとこはとっくに結婚していて、その葬儀には小さな赤ちゃんも参加していて、
式の途中に赤ん坊の泣き声が聞こえていた。
人生を終えた人と、これから人生が始まる人がその場所に共存していた、アンバランス。
肉眼では見えない、小さな細胞がどんどん分裂を繰り返して増えて、目に見えるようになっていく。
そして大きくなって、また始まりと同じように小さくなって消えていく。
命の輝きも何もかもが消えていく。
祖父は穏やかな顔になっていた。
最期は誰もみとれなかったらしいが、少し前まで病室にいた看護師さんによるとそれはもう壮絶だったらしい。
回復の目途が立たないことに嫌気がさし、自暴自棄になり、つながれた管を無理やり外したり、力いっぱいなぐったり。
私の知らない祖父が確かにそこに存在していたのだ。
華を手向けられ、静かに棺の扉が閉められた。
祖父の顔はもう見えない。
火葬場まで運ばれて、そして燃えた。
「あ、金田さん、私です」
「うん。だからちゃんと出たよ」
「私、今日帰りますね」
「そっかーうん。今から帰るの?」
「今焼き場で、この後に骨を拾いますから、まだしばらく」
帰る目途が立ったので、恋人でもなんでもないけれど私の部屋に入り浸っている金田さんに電話をした。
切ると同時に母の呼ぶ声が聞こえて、焼き場に戻った。
肉の鎧がはがされ、骨だけの祖父に対面して、声が出なくなった。
全くおかしなタイミングだった。
簡単な化学式で表せてしまう、そう考えがよぎった瞬間に涙がとめどなくあふれてだめだった。
全員の視線が私に向けられ、母や父に至っては私の突然の変貌にあたふたとしていた。
様々なたんぱく質やカルシウムや硫黄、アミノ酸、挙げればきりがないほどたくさんの化学式で表せることができたはずなのに。
もう簡単な、リン酸カルシウム。Ca3(PO4)2で表せて。そんな小さなものになってしまった。
焼けた、折れた、真っ白な骨。
人が、人でなくなって、消えてしまうこと。
それが、今はただ恐ろしくて仕方がなかった。
やっとの思いで家に帰って、待っていた金田さんに抱き着いてしまったけれど、
いつものように嫌味を言われず抱きしめ返してくれた。
暖かな人間の体。柔らかな人間の体。簡単に表現できない、人間の体。
それがただ、今はいとおしくて仕方がない。
同時にそれが消えることが恐ろしかった。
電話
金田さんは今日ミーティングだから、と言って晩御飯の後すぐに家を出て行った。その後に私が一通りの片付けをしていると電話が鳴って、祖父が亡くなったことを知った。
別に家族と犬猿の仲だとか、勘当されたとか何か特別な事情があるわけではないけれど、家族とはなかなかの疎遠だった。危篤状態が続いているとは耳にしていたが、私が見舞いに行った時にはもうすでに私が私だと認識できないほど弱々しくなっていた。
小さな病室の中で親戚一同集まって、葬儀の取り決めをしていて、その間私は母と他愛のない話をする。いとこの誰それが結婚するらしい、あなたはどうなのとか、病気はどうなのとか。金田さんのことは言っていないけれど、良い人はいるよとだけ、話を濁した。もちろん年齢と職業も濁して。
「あ、母さんごめん。ちょっと電話」
電話が鳴って、相手は金田さんだった。時間は夜もう遅かった。ずいぶん長くここにいるようだった。急いで外に出て通話ボタンを押す。
「もしもし?」
「いまどこ?大丈夫?」
「え、あ、その、ミウチノフコウで……」
「…………は、ぁ。よかった」
電話口から聞こえる声は少し怒っているようで、それでいて私の声を聞いた途端安心したようだった。
「帰っていないからさ、心配しちゃった」
「あーすみません、急いでいたので」
「おまけに電話も出ないし、さ」
「病院だったので、すみません」
あれなんで私謝ってるんだ?ていうか、金田さんはなんで普通に私の家に帰ってきているんだ?と様々な疑問符が生じるけれど、金田さんの特別になれたようでちょっとだけ嬉しかったのは秘密だ。
状況はよろしくないけれど。
チーズケーキ
外に遊びに行くことをデートだと言って、金田さんを連れ出すことに関しては金田さんは特別何かを言うわけじゃない。けれども私のことは彼女でも恋人で無いと、馬鹿にした口調で言うが、私という存在に別の固有名詞をつけられているわけで無い。異性であるけれど金田さんは私に必要最低限にしか触れないし、私が金田さんに触れることは許されてなどいない。
「今日はいい天気ですね」
「そうだねー、五条もいいところだね」
「特別何かあるわけじゃ無いですけどね」
京阪の清水五条。繁華街である清水四条の1つだけ大阪寄りのそこは、駅周辺に特別何かといった観光名所は無い。しばらく歩けば伝統的な京都の街並みが広がるけれど、駅を出て見えるのは鴨川ぐらいだ。
四条と違って緩やかな傾斜はなく、カップルが座り込んでいるわけでも無い。しかし、歩道は整えられており、多少ヒールがある靴でも十分に歩くことができる。今日はスニーカーだけれども。
「少し歩いて、喫茶店でも入ります?」
「五条だったら、あ、あそこ」
「あー見たことあるような、」
「Leafに載ってた気がする」
「金田さんのおごりです?」
「……仕方ないなぁ」
やった。知らないふりをしていたけれど、ここは少し前から私が目をつけていた場所だ。金田さんは大の甘いもの好き、普段はインドア派だけれども甘いものとなれば話は別。というぐらいに行動的になる。金田さんが興味を持ってくれるよう、さりげなく雑誌を準備しておけばあとは、さりげなく誘い出して、だ。
店内に入ると初夏の爽やかな日差しが窓から差込んでいた。店員さんが持ってきてくれたメニューには可愛らしい手書き文字で、たくさんのメニューが書かれており、私は迷わず、名物のチーズケーキに決め込んだ。
金田さんはチーズケーキを頼もうとして、店員さんに断られていた。というのも、私が頼んで最後だったらしい。悔しそうな顔をして、ガトーショコラを頼んでいた。
「はいはい、一口あげますよ」
「イイエ、オカマイナク」
「また、来ましょうよ」
金田さんはぼんやりと鴨川をのぞいていて、私の問いかけには適当な返事をしただけだった。運ばれてきたガトーショコラもショートケーキも美味しそうで、一口食べるとやっぱり美味しかったのだけれども、なぜか少しだけしょっぱい気がした。
卵を焼く
世間ではGWだとか言って浮かれているけれど、もとからエヴリディ休日のような私や金田さんにとっては何も変わらない日でしかない。私は社会復帰に向けて資格の勉強話をするだけで、金田さんはふらりと私の元に訪れる。今日は朝方に訪れて、私は今、私と金田さんのためだけに朝食である目玉焼きを作っている。半熟のそれをご飯に乗せて、醤油をひとたらし、さぞかし美味しいだろうな。
「今日レコーディングですよね」
「うん?終わったというか、うん」
「うん?」
「今日は出番ない」
金田さんは台所から見えないところで、きっとごろんと寝ころんで携帯をいじっているんだろうな。曖昧な返事が聞こえていた。
金田さんの職業を私はよく知らない。ライブハウスで演奏をしているけれど、決してそれが軌道に乗っているわけではない。何をして生計を立てているのか、詳細は教えてくれないけれど金田さんだって働いているのだ。
例えばの話、ライブハウスでの集客がもっと見込めれば。ファンが増えれば。テレビに取り上げられたのなら。金田さんは仕事を辞めて音楽だけで生きていくんだと思う。
でももしも、それが現実になったとして、そうなれば金田さんは簡単に私なんか忘れてしまうだろうな。
「また何か、考えてる?」
「いやぁ、GWだなぁって」
「いつも休みみたいなものじゃない」
こうやって馬鹿話する時間も無くなる。
こうやって部屋に来てくれることも無くなる。
私が、私だけが知っている金田さんがどんどんなくなってしまう。
「金田さん。おやすみなんですね」
「いいや、ブラックだから夜から仕事だよ」
その仕事が指すのはどちらの仕事だろう。狭まってしまった距離がまた開いているようで少し寂しい。
「だから、夜までここにいるよ」
心は人に見えないはずなのに。寂しい、と思った感情はどうして金田さんに知られてしまったのだろう。それは偶然なのかもしれないし、本当に心が見えているのかもしれない。
GWに挟まれた平日の朝。彼の夢を真っ黒なペンキで塗りつぶすかのような感情を抱いたことに嫌気がさして、私は朝食の目玉焼きをぐちゃぐちゃに潰したのだった。