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夢女日記

今日も元気に夢見てる

リン酸カルシウム

祖父が亡くなって、それからの葬儀や通夜で私は一切の涙をこぼすことはなかった。
それはただ単純に、嫌いだった、とか思い出がないといったそんな簡単な言葉で言い表せることではなかった。
思い出ならたくさんある、特別いじわるをされたわけでも、厳しかったわけでもない。
お経の声とすすり泣く声が聞こえる。私はぼんやりと部屋の隅を眺めているだけだ。
いとこはとっくに結婚していて、その葬儀には小さな赤ちゃんも参加していて、
式の途中に赤ん坊の泣き声が聞こえていた。




人生を終えた人と、これから人生が始まる人がその場所に共存していた、アンバランス。
肉眼では見えない、小さな細胞がどんどん分裂を繰り返して増えて、目に見えるようになっていく。
そして大きくなって、また始まりと同じように小さくなって消えていく。
命の輝きも何もかもが消えていく。




祖父は穏やかな顔になっていた。
最期は誰もみとれなかったらしいが、少し前まで病室にいた看護師さんによるとそれはもう壮絶だったらしい。
回復の目途が立たないことに嫌気がさし、自暴自棄になり、つながれた管を無理やり外したり、力いっぱいなぐったり。
私の知らない祖父が確かにそこに存在していたのだ。




華を手向けられ、静かに棺の扉が閉められた。
祖父の顔はもう見えない。
火葬場まで運ばれて、そして燃えた。




「あ、金田さん、私です」
「うん。だからちゃんと出たよ」
「私、今日帰りますね」
「そっかーうん。今から帰るの?」
「今焼き場で、この後に骨を拾いますから、まだしばらく」





帰る目途が立ったので、恋人でもなんでもないけれど私の部屋に入り浸っている金田さんに電話をした。
切ると同時に母の呼ぶ声が聞こえて、焼き場に戻った。
肉の鎧がはがされ、骨だけの祖父に対面して、声が出なくなった。



全くおかしなタイミングだった。
簡単な化学式で表せてしまう、そう考えがよぎった瞬間に涙がとめどなくあふれてだめだった。
全員の視線が私に向けられ、母や父に至っては私の突然の変貌にあたふたとしていた。
様々なたんぱく質やカルシウムや硫黄、アミノ酸、挙げればきりがないほどたくさんの化学式で表せることができたはずなのに。
もう簡単な、リン酸カルシウム。Ca3(PO4)2で表せて。そんな小さなものになってしまった。




焼けた、折れた、真っ白な骨。
人が、人でなくなって、消えてしまうこと。
それが、今はただ恐ろしくて仕方がなかった。




やっとの思いで家に帰って、待っていた金田さんに抱き着いてしまったけれど、
いつものように嫌味を言われず抱きしめ返してくれた。
暖かな人間の体。柔らかな人間の体。簡単に表現できない、人間の体。
それがただ、今はいとおしくて仕方がない。

同時にそれが消えることが恐ろしかった。
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